しぶさわ忍法帖

しぶさわレーニン丸のネタ帳です。

シャルル・フーリエ『産業的協同社会的新世界』読書メモ(2)

前回の記事が短すぎたので今回はちょっと多めに書きます。


shibuleni.hatenablog.com

 

【注意】

訳文というよりもフーリエ自身の文章が(たぶん)悪いので、引用という形をとりますが、正確な引用ではないことを先に明記しておきます。とにかく読みやすさ重視で。

 

産業的新世界という題名は、とりわけ産業的魅力を創出するという特性を備えた、このすぐれた協同社会的秩序を最も正確に示すものである。この新世界では、遊び人でも、気取った主婦ですら、冬でも夏でも朝四時から起き出して熱心に有益な労働に従事する、それもたとえば庭園や家禽飼育場の世話に、また家事や製造所やその他、文明機構が富裕階級すべてに嫌悪感を抱かせるような職務であったとしても。(『世界の名著42 オウエン サン・シモン フーリエ』中公バックス,P.441)

 

つまりまあ、「私(フーリエ)が作るソシエテール(協同社会)では大丈夫!安心してね!^^*」っていうことを書きたいがための文章。

 

それにしても、フーリエが描く世界の住民はえらく早起きである。

中公バックス版の付録として付いている「黙示録としての社会主義」(野地洋行著)にはこんなことが書いてある。

 

フーリエは彼の共同体では労働は快楽になるという。それだけではない。人間は本来移り気なものだから一つの仕事を継続するのは二時間ずつでいいと彼はいう。まさに、朝に魚を釣り、夕べに畑を耕すというウルトラ・ロマンチシズムといわれる世界である。さらに人々は一緒に労働する仲間を選ぶことができ、こうしてできたチームはみずからの労働の主人として他のチームに対する対抗意識に燃え、秘策を練り、その労働に情熱をさえ感ずるという。(「黙示録としての社会主義」P.3)

 

快楽としての労働。社会主義という過去の遺物が本来見据えていたのは、議会で多数をとることでもなければ生産手段の社会化のことでもなく、ましてや暴力革命のことでもなかった。ファランジュを作ろうとしたフーリエや、幼稚園の創始者としてのオウエン、現代風に言えば某ワ●ミ的な経営思想を持っていたサン・シモンは、人間の幸福と労働の一致を目指していたと言っても過言ではない。……だいぶ脇道に逸れたのでフーリエに話を戻そう。

 

このような労働のすべては、きわめて未知の配列――「情念系列」(série passionnée)あるいは「対照的集団の系列」――の作用によって魅力的なものになるであろう。これは、あらゆる情念が目指す機構、自然の意にかなった唯一の秩序である。もしも産業が情念系列のなかで営まれるのを目にしない限り、未開人たちはけっして産業を採用することはありえない。(P.441-2)

 

これはさきほど挙げた野地氏が指摘しているところだ。つまり自チームの魅力と敵対チームの存在が労働をさらに快適なものにする。現代の労働は辛すぎるから、それに巻き込まれる前の人間のことを指す(フーリエは未開人と書いているが、おそらく当時の産業とフーリエの描く共同体という二つの選択肢を与えられた人間のことを指すのではないだろうか。そしてもちろん、辛い労働を選ぶよりは快適な労働を選ぶだろうというフーリエの確信がこもった箇所だ)のだろう。


情念系列という制度のもとでは、真理と正義との実践は富にいたる手段となる。そして、美食術のように、私たちの道徳によれば堕落していると思われている悪習の大部分〔筆者註=おそらく今風に言えば「飲む打つ買う」みたいな道楽全般を指すのだと思われる〕は、産業面での競争心を生じさせる手段となる。だから、美食術の洗練は、そこ〔フーリエが描く共同体〕では英知をうむ主動力として奨励されるのである。この体系と相反するのは虚言を通じて富に導き、英知を禁欲生活の地位におく文明機構であり、とくに後者を「転倒した世界」(monde à rebours)との異名がつき、前者のような協同社会状態は、真理と魅力的産業との使用のうちに築かれた、「正立した世界」(monde à droit sens)という異名が与えられるであろう。(P.442)

 

ここで美食術(ガストロノミー)が挙げられているのは面白い。フーリエが描くソシエテールでは、美味いものを食べることが重要なのだ。またしても脇道に逸れるが、美食術について少し触れてみよう。

 美食術という言葉を最初に使ったのはブリア=サヴァランという人物だ。彼は『美味礼讃』という本を書いた*1。その巻頭に置かれた有名な、「君が食べているものを言ってみたまえ。君がどんな人間であるかあててみせよう」、あるいは「人類の幸福にとって新しい料理の発見は星の発見よりも大きい」といったアフォリズムは、まさに「ただ食べる」だけではなく、「よりよく食べる」ことが重要かを謳っています。快楽と切り離された道楽はあり得ない。食に関するこうした名言や箴言はとても面白い。

 ……ともあれ、フーリエに戻るが、禁欲生活を強いるクソみたいな社会は「転倒した社会」、快楽を奨励する素晴らしい社会を「正立した社会」と呼んだ。まあ快楽を強いる社会が果たしてマトモな世界なのかは知りませんが。最後にもう一節だけ引用(紹介)して今回は終わりましょう。

 

とりわけ学者と芸術家にとっては、協同社会的制度は「新世界」であり「正立した世界」になるであろう。なぜなら、彼らの熱烈な願望の対象物を、彼らにとってはまさに茨の道であるような文明状態のなかで望みうるものの二十倍、百倍もの莫大な富を「正立した世界」の機構においては一挙に獲得することができるからである。〔なぜ文明の道が茨の道かというと〕彼らはそこでは、ありとあらゆる不愉快な思いをさせられ、あらゆる屈辱を蒙っているからだ。(P.442)

 

なるほど!(御用)学者と(御用)芸術家を重用する社会はなんか見たことがあるような気がしないでもないですが、立派な学問や革新的な芸術がちゃんと評価されお賃金をもらえる社会は素晴らしいかもしれませんね!まあ、あんまり変なことは書かないことにします。

 

美味礼讃

美味礼讃

 

 

 

悪食大全

悪食大全

 

 

 

なんか今回全体的に口調が変わりまくってますが、読むのに支障なければセーフってことで。

 

 

*1:正確な題は、『味覚の生理学、あるいは超絶的美味学の瞑想。文学や科学のもろもろの学会の会員たる一教授からパリの美食家にささげられた、理論と歴史と日常の問題を含む書』である(ロミ『悪食大全』高遠弘美訳,作品社,P.213-4参照。)。他にも、ジョゼフ・ベルシューという法官にして詩人、ジャーナリストでありかつ美食家でもあったという人物もまた、美食術という言葉を最初に使った一人である。

シャルル・フーリエ『産業的協同社会的新世界』読書メモ(1)

しぶさわです。

 

今回は空想的社会主義者として名高いシャルル・フーリエ(1772〜1837)という社会思想家の、

 

『産業的協同社会的新世界』という、タイトルからしてヤバい本を紹介します。読書メモ代わりなので、込み入った話はあんまりしません。ちなみに副題も含めると、『産業的協同社会的新世界、つまり、情念系列のうちに配分された、魅力的自然的産業の方法の発見』という長ったらしいタイトルになります。

そしてあえて一言でこの本をまとめるなら、「こういう社会共同体を作ればみんなハッピーになるよ」っていう手引書みたいなものです。

まあとりあえず、その序文から見ていきましょう。

 

序文
錯乱の兆候、転倒した世界

 

お、おう…(困惑)なんかすでに序文のタイトルだけでやばいにおいがプンプンしてますが、本文に入っていきましょう…

 

第一項
概説および予備的概念

金持ちとの結婚、遺産相続、散官につくといった運命のめぐりあわせによって収入を倍にしようとする願いほど、普遍的な願いはない。そして、各人みなの収入を、実質的価値において二倍どころか四倍に高める方法が見いだされたならば、こうした発見は、きっと、万人の目をひくに最も値するものであろう。(田中正人訳「産業的協同社会的新世界」『世界の名著42 オウエン サン・シモン フーリエ』中公バックス,P.441)

 

 もうなんか怪しさしかない書き出しですが、実際彼は一部の熱心な信者を除き、彼が活動していたパリでは嘲笑の的(「パレ・ロワイヤルの狂人」)でした。ファランジュという、1500人から2000人、理想は1620人で構成される農業共同体(彼によるといろいろな理論的背景はあるが割愛)を作ろうと出資者探しに明け暮れて死去した人物です。

フーリエは、産業が発達し、各人がバラバラになった社会で、再び人と人とを協力させるような関係を作らねばならないと奮起し、情念系列(人と人とを結びつける力)という概念を編み出し、人のあらゆる感情を理論的に秩序立てて(実際彼は「移り気概念」という、人は同じことをずっとしていると飽きるといった感情も理論化させていました)組み合わせれば完璧な社会を理論的に実現できると考えたのです。だから、彼が「空想的」と形容されるのは結構な誤解を含む表現です。……もうこの辺でお腹いっぱいでしょうか?

 

次回からちゃんと読んでいこうね!(読んでいくにしても内容が内容過ぎて多分すぐパンクしそう)

 

 

世界の名著 42 オウエン (中公バックス)

世界の名著 42 オウエン (中公バックス)

 

 

増補新版 愛の新世界

増補新版 愛の新世界