しぶさわ忍法帖

しぶさわレーニン丸のネタ帳です。

フーリエのエロティシズム断想——フェチと婚姻について

最近、自民党今井絵理子議員の不倫騒動により、支持率低下が叫ばれる安倍政権にさらなる追い打ちをかけるのではないかという疑念が持たれている。昔から、こうした不倫問題が後を絶たない日本の政治だが、そうした不倫問題の根本的な解決策を見つけた人物が過去に存在した、と言ったらどう感じるだろうか。来たるべき政治システムに向けて、こうした過去の思想から学ぶことは決して無益ではないだろう。

 

……とまあ、それっぽいことを書いてみましたが、このブログで政治的なものについて触れることはないので、今読んだものは読み飛ばしてもらってオッケーです。ぶっちゃけ導入部でこんなこと書いただけなので、相変わらずフーリエについて書いていきます。

 

でもまあ、冒頭部で触れた不倫問題の解決策を見つけた、というのはあながち間違いではなくて、今回寄り道で触れるのは、まさに「フーリエのエロティシズム」についてです。前回の記事の末尾に、エロティシズムについて少し触れた箇所があったのですが、少し調べてみました。

 

やはりフーリエはエロティシズムを自身の思想に織り込んだ最初の人間かもしれません。たとえば巌谷國士は、次のように言います。

 

フーリエがその処女作『四運動の理論』のなかで、「情念引力」の科学をはじめて設定したとき……不可視の力の観念にまつわるすべての素朴な神話を包括し、ニュートンによって機械化、数学化された引力のイメージに、その本来のエロス的内実を復活させたのだと言うことができる。(巌谷國士「萬有引力考――宇宙論的エロティスム」『ユリイカ青土社1971、P.64)

 

ニュートンのリンゴの逸話というのは有名ですが、実はリンゴにちなんだ逸話はフーリエにもあります。

 

1798年、パリへ行商に来ていた貧乏商人のシャルル・フーリエが、高名な料理哲学者ブリヤ - サヴァランと食事をともにした際、そのデザートとして供されたのが、一個の貧弱な林檎であった。その林檎の値段を教えられたとき、当時26歳であったフーリエの脳裏には、ある天才的な発見の胚種が芽生えたという。(同、PP. 55-6)

 

サヴァランについても第二回でも触れましたが、意外な接点が見つかりました。

 

shibuleni.hatenablog.com

 

ともあれ、フーリエはこうした引力にまつわるエロティシズムの第一発見者だということは間違いないようです。ここでやっと本題です。フーリエの思想のどういう部分が不倫騒動を一気に解決する秘策になるのか。それはフーリエの描くユートピアについて知ることが肝要になります。

 

まず、フーリエユートピアは、権力が「人を生かす」ために、人民に尽力する世界です。三原智子は次のように述べます。

 

理想社会「ハーモニー」では、権力が、「すべての年齢にこの快楽を保障する」。階級や年齢の差を越えて、すべての人間がこの営みに参加し、あらゆる組み合わせが許される。80歳の女性がハイティーンの少年を恋人にすることも、ロシアの大公女がその女奴隷に恋することも、禁じられるどころかむしろ奨励される。許されないのは、小児性愛だけである。(三原智子シャルル・フーリエの理想社会における権力構造」群馬大学教育学部紀要 人文・社会学編』57号、2008、P. 117)

つまり、今でいうところのショタコンも、同性愛も、次に触れますがあらゆる性的倒錯が社会的に肯定される社会なのです。なぜか小児性愛だけは許されてませんが。

 

ハイヒールマニアやその他の酔狂の愛好者は、国家によって、一般の恋人たちと同様(あるいはそれ以上に)手厚く保護される。保護された多彩な性愛は、種類ごとに細分される。(同、P. 117)

 

つまるところ靴フェチも、他の性愛が肯定される社会。素晴らしいのかおぞましいのかわかりませんが、ともかくぶっ飛んでることだけは分かります。さて、問題はここからです。

 

ハーモニーでは、各自は性愛について、自分の好みと自分の履歴を官僚に告白しなければならない。すべての欲望をさらけだし、かつ、過去のすべての行為を明らかにしなければならないのだ。権力側は、告白にもとづき、当該人物についてのデータを分析し、計算し、その結果に応じて、ふさわしいパートナーを紹介する。そのデータは、個々人の管理に使われ、いつでも、どこでも、参照可能なように準備される。(同、PP. 118-9)

 

ハーモニー社会は確かにすべてが許されるユートピアである。しかし、それは、すべてが白日のもとにさらされている、という条件のもとなのである。社会全体が巨大な私的領域となったため、公権力が私的プライバシーを侵すという恐れが失われた。むしろ、権力の介入によってはじめて、性=生という個人の生命にかかわる領域が保障され、豊かなものとなるとみなされるのである。(同、P. 121)

そう、フーリエの社会ではプライバシーが存在しないのです。そんなもの必要ない。各自が隠すことなく好きな行為に勤しめる社会。あらゆる欲望が原動力となる社会こそ健全だ、というふうに考えていたのです。ただ、隠されて初めて生まれる欲望みたいなものが消滅する恐れがありますが。

さて、ここでお気づきになられた方もいるかもしれませんが、フーリエの社会は、各人が何を欲し、もっと言えば誰とまぐわっているか、全て筒抜けの社会なのです。フーリエが目指したものは統一。ドゥブーの言葉を借りると、「フーリエにおいて鍵となるのは、……集団=群の感情的生に関する知識」*1。そう、集団のあらゆる意味での統一。全ての人が全ての人と婚姻関係にある、「全婚」なのです。フーリエはサドというフランスの文学者の小説を読んでいたことは知られていますが、まさに彼は、サドの描く酒池肉林の世界を社会に実用化させようとしていた人物なのでした。

 

快楽の儀式を無限に多様化させること、そして人間同士の結びつきを無限に複数化させること――その極限的な様態として提示されたものこそが、統一種すなわち乱交の最高形態たる、「全婚」のイメージであると言ってよいかもしれないのだ。(巌谷 P. 71)

 

単婚(モノガミー)から多婚(ポリガミー)へ、さらには乱交(オルジガミー)から全婚(オムジガミー)へ。つまり一対一から一対多数へ、さらに多数対多数から全員で、という形で婚姻形態を推し進めようとしていたのです。

 

結論。不倫問題が起きるのは、婚姻が一対一の関係だから起こるのであって、それ以外なら問題にそもそもならない。というのが、フーリエの思想を通じてわかった(?)ことでした。

 

 

フーリエのユートピア

フーリエのユートピア

 

 

サド、フーリエ、ロヨラ

サド、フーリエ、ロヨラ

 

 

*1:シモーヌ・ドゥブー『フーリエユートピア今村仁司監訳、1993、平凡社、P.78